12/15 Google事変
こんばんは。
昨日の話になるのですが、昨日の夜45分ほどGoogleのサーバーが落ちてサービスを利用できなくなったのを覚えていらっしゃるでしょうか。
当時家にいてなんとなくいつもの癖でYouTubeのアプリをタップしたのですが開けず。
Wi-Fiが重いのかと思いきや他のアプリは大丈夫そう。
YouTubeだけかと思ったらGoogleの検索エンジンもアウト。
どうやら本体そのものが駄目でした。
Googleが駄目ということはそれに付随するYouTubeなどのサービスも利用できないということ。
ポケモンGOもGmailアドレスでのログインだったので入れず。
企業からのメールもGmailで確認できず。
いかに一つの企業に自分の生活が支配されているかを実感しました。
これってすごいことだけど逆に考えればGoogleが落ちれば日常が非日常になるということですからまたなんとも言えない感情に笑
家具と連携させている人だったらそれも使えないということですから困ったものです。笑
これで私が個人的に思ったのが、こういった企業が悪意のある、団体もしくは国のものになったら一体どうなってしまうんだろうと。
例えば中国では一部では国民を監視するようなシステムが出来ていますよね。
誰々が何を見て、といったように検閲もかけることができます。
実際先のアメリカ大統領選でのTwitter社の対応も疑問が残るものでした。
ご存知のようにバイデン氏が優勢でついさっき正式に決まっただのといったニュースも流れていましたが、それに対してトランプ氏は不正選挙があったとTwitterなどを通して抗議をしているわけですがそのツイートにはこのツイートはデマの可能性がありますといったようなTwitter社からの警告文が一緒に付けられているのです。
大統領ともいえど一人の人間です。
特定の人間に、しかもトランプ陣営のみに、事実かまだ分からない事象にデマの可能性があるという警告文は果たしてフェアなのでしょうか。
悪意のあるデマはもちろんいけませんが、まだ真か疑か分からないようなものに一方的に判断するのもどうなんですかね。
これが日常的になると人々はそれに慣れて気づけば大元の思うように動いてくれる操り人形が出来てしまいます。今のマスコミ、ワイドショー民とある意味同じですね。
もしそのような状態になったとしても一人の人間として正しい判断ができる、情報を見極められる能力はやはりこれから先生きていく上で必須なのかなと思ったり。
なんだかGoogleの話から飛躍しましたが、こんなとこで意見を言ったって情勢は変わらないし相変わらずGAFAは成長しそれらを私たちは引き続き利用することになると思います。
でもたまには受け身じゃ無く能動的に自らの当たり前に疑問符をつけてみるのもアリなのでは?
・・・当たり前、無くして気づく、大切さ